非常識な植物
非常識な植物
小さな鉢植えの《マユハケオモト》をいただきました。初めて見る花でしたが、一目見た瞬間に、何とも言えない違和感を覚えました。葉と花があまりにもマッチしていないと感じたのです。
蘭の仲間と思われる肉厚でつやのある葉の根方から、ボールペンほどの花茎が、祝日に玄関わきに突き出された日の丸を掲揚する竹竿のごとき角度で伸びていて、その先には期待を裏切るたんぽぽのようなフワフワの花がついているのです。
ダブルのスーツに身を固めた男が、毛糸で編んだスキー帽をかぶっているようなものです。あまりにも花が軽やかすぎるのです。非常識な、花と葉っぱの取り合わせもあるものだと思ったのです。
しかし、よくよく考えてみれば、この違和感はあくまでもこちらの都合であって花には何の罪もありません。《マユハケオモト》は誰に気兼ねすることもなく、あるがままの姿でそこにいて何の不都合もありません。
知らず知らずのうちに花とはこんなものだ、と自分勝手な枠組みをこしらえている自分がいるのです。その枠の中におとなしく収まっているものが美しいのだとオートマチックに決めつけてしまう私がいるのです。薄紙の包みから取り出されテーブルに置かれた瞬間に、自分の美の基準からはみ出した出来損ないのつまらないものとして、無意識のうちに排除しようとする感情が生まれたのだと思います。非常識な植物だと感じた理由はそこにあるのでしょう。違和感という感覚をよりどころにした自身の美意識、価値観によって瞬時にそう判定してしまったわけです。
しかし、長年の間に培ってきたこの価値観というものが、実は自分勝手で偏狭な思い込みに過ぎないということは大いにあり得ることです。
しかもそれは、ありとあらゆる対象に向けられる狂った物差しにもなりえますから注意が必要です。
他人に対する好き嫌いの感情なども、実に他愛もないことをきっかけに知らず知らずのうちに自分の周りを囲ってしまった価値観という名のバリケード越しに人を見てしまうことから生まれるものかもしれませんね。
《マユハケオモト》は今日もぶっきらぼうな容姿で小鉢に収まっていますが、見る角度によっては、誰かに手を差し伸べているようにも見えます。握手したがっているのかもしれませんね。
アートギャラリー まなりや
大阪府枚方市。京阪本線 牧野駅から徒歩3分のアートギャラリー。