センチメンタルジャーニー

センチメンタルジャーニー

松山にて

プロペラ機は高度を上げるとき、梅雨前線の雨雲の中でかなり揺れた。ほどなく安定飛行に移ったが、10分もしないうちにまた、着陸態勢に入るからシートベルトを締めるようにとアナウンスがあった。機は、郷里の忽那諸島上空で大きく旋回して高度を下げる。滑走路にたどり着く前に車輪が海に接触するのではないかとひやひやする。それほど海面が近く感じられる。一本釣りの漁師の腕の動きまではっきり見えるのだ。
空港から松前小学校まではタクシーで20分足らずだった。途中、樒の他にはほとんど何も置いていない露店の前で車を止めてくれたので供花を手に入れることができた。車中で墓参に来たことを話したので運転手さんが気を利かせてくれたのだ。これで、右の内ポケットに入れて大阪から持参した線香とで、何とか格好をつけることができる。
交通量の多い正門前に立って手書きの地図を広げる。5年ぐらい前に奥さんからFAXで送ってもらった墓所の位置を示す地図である。矢印はここからスタートしていた。まるで秘密の宝の在りかのような筆致である。近頃は絵手紙の勉強をしているようなので、今ならもう少し事務的かつ写実的な表現になったかもしれない。が、迷うことなくたどり着けた。地図は駄作ではなかった。
墓地は、海産物を加工する廃屋のような作業小屋をはさんで瀬戸内海と対峙していた。防波堤の切れ目から砂浜に降りてみた。思いのほか広く長い海岸線が続いている。こんな海だったかな、と意外な感じを受けた。
夏だった。高校生の彼とぼくは並んで砂の上に腰を下ろして海を見ていた。5,6人の小学生が海につかってふざけあっていた。真っ黒に日焼けして、あばら骨が浮き出ていて、それでいてやけに元気な子供たちだった。ちょうど日が沈みかけた頃で、逆光の中、彼らの姿はシルエットだけになって、色づく波間に溶けてまじりあい、きらめいていた。
ガンジス川の子供のようだな、とぼくは気楽な調子で言った。
そうか?と彼はちょっとはにかむような柔らかな笑い方をした。子供たちの姿に、ありし日の自分の姿を重ね合わせていたであろう彼に向けての、それはちょっと失礼な言い回しだったのかも知れなかった。彼の笑顔には、なにかしら異議申し立てをしたい気分が紛れていた。二人は海辺で育った。ぼくは島で。彼はこの浜で。そうだ、ここは彼の縄張りなのだった。
ぼくは、樒と線香のなくなった身軽なジャケット姿で干潮の波打ち際をしばらく歩いてみた。雨は落ちていないが重く湿った雲が空をおおっている。海猫が鋭く鳴き交わしながら砕ける波頭をかすめて飛ぶ。
今夜は強い雨になるらしい。



アートギャラリー まなりや
大阪府枚方市。京阪本線 牧野駅から徒歩3分のアートギャラリー。

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