『愛している』と『おいしい』

『愛している』と『おいしい』

高齢者はテレビに突っ込みを入れる

うつらうつらしながら深夜テレビを見ていると、フランス在住の日本人作家が《愛》こそがいま最も必要とされているキーワードだと歌って番組が終わった。間髪を入れずに、画面に大写しになったヨーロッパのご婦人が『愛がすべてだわ』とつぶやいて、次のドキュメンタリー番組が始まったのである。

いっぺんに気が重くなった。食い過ぎた時の感覚に近い。思わずテレビに向かって突っ込みを入れる。

『愛している』と『おいしい』は、いわば同族の言葉で、そう言っとくしかない。それは、具体的に説明すればするほど核心から遠ざかっていく性質を持った概念であり感覚だと思う。だから、その言葉を口に出したとしても、どういう心持がそう言わせたのか、自分でもよくわからないはずである。ましてや、その心持を具体的に説明しようなどというのは、滑稽を通り越して悲劇である。

だからと言って、この二つの言葉が全く同じというわけではない。微妙なところで違いがある。『おいしい』と同じ頻度で『愛している』とは口にできない。それは軽はずみな行為として控えたほうが良いという感性を、時間をかけて、石垣を築くように育ててきたのが日本人ではなかったのか?秘すれば華、の理屈である。ハイカラな、今風にいうとグローバルな人間は『なんと自分勝手で閉じこもり性な人間なんだ』と笑うのだろうが・・・。

ちなみに、ドキュメンタリーのタイトルは《真実の愛を探して》だった。

『そんなもん、どこ探してもないわ』と捨て台詞を残して、早々に寝床へもぐり込む決心をしたのであった。



アートギャラリー まなりや
大阪府枚方市。京阪本線 牧野駅から徒歩3分のアートギャラリー。

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